火事のできごとと今から

火事のあれこれの日記

火事後の解体100万円

地元から自分の家に帰ってきて、すぐに普通の日々に戻りました。

とは言え、まだ片付いていない実家の燃え跡の処理、それから母の次の住む場所をどうしようと考えると気持ちがなかなか休まらなくて、眠れない夜も増えました。

 

自分の家に戻ってきた後も、月に一度、母の様子を見に地元に帰っていたのですが、3回目くらいの時に、母からうざがられたので、頻繁に帰るのはやめました。

まぁ、私が一人で行くと、お金の話をされたりするので、あまり二人きりにはなりたくないのが本音ではありますが。

それでももう何年も、ゴミ屋敷と私を吠え続ける犬達に嫌気が差して、地元に帰るのなんて年に1~2回の上、せいぜい3日以上は帰省できていなかったから、一週間とかのんびり地元にいるのは久しぶりで、親友にもゆっくり会う事ができました。

火事によって、皮肉にも私はゆったりと帰れる場所ができたのです。

 

母は、実家の庭に残して、犬達の面倒を見に、臨時の部屋からは毎日実家に通っていました。

とりあえずは臨時なので、あまり物を増やさないようにと言っておいたけど、なんだかんだで母の友人達が持ってきてくれた物で、生活は困らないくらいにできていました。

そんな母の姿を見て、親戚の中には、楽しそうに新しい生活を満喫しちゃってると眉をひそめる人もいました。

 

燃え尽きた家の解体と処理の見積もりを業者に頼んでいたけれど、一ヶ月経ってもなかなか金額が出ませんでした。

問い合わせると、どうやらあの日見積もりを取りに来てくれた会社から、いくつかの解体会社に依頼を出しているみたいだけど、火事の処理はあまりみんなやりたがらず、なかなか返事が来ないとのことでした。

ましてや、お金はいくらでも出すと言う案件ではなく、とりあえず金額の見積もりを出して欲しいと言ううちの状態では、更に困難を極めているようです。

 

結局見積もりが出たのは、それから3カ月後くらいでした。

金額を見ると、約100万。恥ずかしながら、今の我が家には頭を抱える金額でした。

となると、自分達で少しずつ片付けていくしかありません。

とは言え、それも気の遠くなるような話です。

 

誰のせいでこうなっているのか、母はわかっていないのかと思うくらいに、私達のその話を軽く聞き、100万払っていっそ綺麗にしてもらうかとこちらが言えば「そうだな!その方がてっとり早い」(お金は自分で出せないくせに)

でも、100万を払う余裕があまりないから、やっぱり自分達でこつこつとやろうかと言えば「そうだな!お金がもったいない」(とは言え、自分は片付けに参加できないくせに)

と言う状態で、まさに適当な無責任人間でしかありませんでした。

 

いったん、お金を払ってやってもらおうかと言う話になったのですが、それも結局、業者から解体会社に話を進めてもらおうとすると、できるのは10ヵ月後くらいになりますとの返事があり、それもお約束できるものではない、こちらの空いた時に行かせてもらうことになると言います。

やっぱり、火事の後処理は、かなり嫌がられているようです。

見積もりを取りにきてくれた業者の人は、申し訳ない。自分も無償で出来る限り手伝わせてもらうとまで言ってくれましたが、それは気持ちだけいただいておくことにしました。

 

という感じで、結局火事の後始末は自分達でコツコツとやっていくことになりました。

土地の持ち主であるおじさんとの話し合いの結果、できたら鉄くずだけはどうにか処理してもらいたいと言う話にまとまりました。

 

と言う事で、少しずつ、自分達での片づけを再開しました。

旦那と二人で、まだ立ったままだった家の柱を切り、屋根を落とし、鉄をはがしました。

自分で自分の育った家を壊すのかという気持ちも湧き出てきたりもしたけれど、なんだかんだでそれが家への恩返しのような気もしました。

ゴミ屋敷になってしまってからは、心の錘でしかなかったけど、まだ私が幼かった頃、この家が綺麗だった頃の思い出はそれなりにあります。

 

そしてレンタカー屋から軽トラックを借りて、個人の鉄くず処理会社に運びました。

それらは、買い取ってもらえるのです。

 

母がもらっては溜めこんだ電化製品やら色んなものの鉄くずが山のようにあり、庭にも放置されたままだったので、とにかく鉄くずゴミも凄い量です。

例えば自転車は乗れなくなって放置された物が3台くらい、同じく壊れて使えなくなったストーブなんて6台くらい、他にもブラウン管テレビや電子レンジなどなど・・・

それらを車で5分くらいのところにある処理会社に運び入れるのですが、結局満タンに載せて5往復してもまだ捨てきれませんでした。

 

これまた皮肉にも、それらが溜まってなんとか地元へ帰って来るのに借りたレンタカーと地元で借りた軽トラ代くらいにはなりました。

でも、まだまだ鉄くずの後始末には時間がかかりそうです。

地元が近ければ、コツコツと通えるのですが、車で片道3~4時間の距離なので、そうもいかず。

本当に何年かかるかと言う感じです。

 

火事からすっかり元気を取り戻した母は、それらの手伝いこそ足腰が痛くてできないものの、私達のごはんを作ることには丹精込めて用意してくれました。

 

旦那はすっかり、母に対して不快な気持ちも強くなり、火事の前ほどは優しく接しられないような感じです。

でも、母が明らかに間違ったことや人の悪口を言いだすと、面と向かって怒ってくれるので、母も少しは旦那に対しての態度を改めるようにはなりました。

 

燃え跡からは、私の物はほとんど燃えてしまっており、懐かしさに浸れる物はほとんど見つかりませんでしたが、またひとつ良いエピソードがありました。

もう20年ほど前に亡くなってしまった、母の姉の一人、つまり私のいとこのおばさんの中学時代の卒業証書がおばあちゃんの箪笥から出てきたのです。

それを、おばさんの息子である私のいとこのお兄ちゃんが子供のY君を連れて顔を出してくれた時に渡しました。

お兄ちゃんはそれを受け取ると凄く嬉しそうにしてくれました。

しかもお兄ちゃんの息子のY君が、「それおばあちゃんの?」と言った言葉に、私は凄く心が明るくなるのを感じたのです。

おばさんが亡くなった時、まだY君は生まれていなかったため、実際は、おばあちゃんと呼ばれたことはなかったのです。

それが見つかった時、私が乾かしていたら「そんな物もらったってM(いとこのお兄ちゃん)もしょうがないだろう。捨てちゃいな。」と母は言ったけど、その通りにしなくて良かった。

母は目の前のそんな光景に、何事もなかったかのように、「とっておいて良かったよ」と平然と言い放ち、またしても私と旦那を秘かに呆れさせました。

 

でも、思いもよらない僥倖ってこういうことを言うのかもなと思いました。

なんだかまたちょっと、長年かかった約束を果たせたような、そんな救われた気持ちになれた出来事でした。

 

 

 

ランキング参加中です。


全般ランキング


備忘録・雑記ランキング

にほんブログ村 その他生活ブログへ

 にほんブログ村 その他生活ブログ 地震・災害へ
にほんブログ村