10日間が過ぎいったん自分達の家へ
最終日、ひとまずいったん自分達の家に帰ります。
母は、臨時で与えてもらった部屋での一人暮らしが始まります。
お世話になった親戚の家に挨拶をして回りました。でも、一番迷惑をかけた母は、ほとんど車から降りてきませんでした。
会わせる顔がないのかもしれないけど、今は必要なことなのに。
どこまでも、世間知らずです。
母が普段使っている自転車、火事の時は庭に停めてあったそうで、被害は免れたかなと思いきや、サドルも若干溶け気味のところがあったりで、心配なので自転車屋に見せに行くことにしました。
案の定、乗ってみるとタイヤもなんかおかしいようで、取り替えることになりました。
ひとまず、離れる前に、今後もお世話になる母の普段の足を完璧にすることにしました。
母にも、だいぶ疲れが出てきているようで、新しく買ってあげた杖で歩く姿を見ると、やっぱり心配になります。
そして地元を離れてからこんなにも長く帰ったことはなかったので、こんなこともあり私はすっかりホームシックのようになってしまっていました。
いざという時に助けてくれるいとこもこの街に住んでいて、親友もここに住んでいる。
なのになんで私はこの街に住めないんだろう、と。
でも、そんな思いは今までのように心に押し込めるしかないのです。
旦那はそんな私とは真逆に、とにかく自分達の家に帰れることが嬉しくてたまらない様子でした。そりゃそうだよなと思いました。
母を自転車屋に送り届けて、そこで解散しました。
手を振る母の姿はなんだか清々しく、あんなに苛立つことも多かったのに、なんだかこの時だけは、火事なんて起きてなくて、全部が元通りに戻れたような不思議な感覚に陥っていました。
来た道を私と旦那は引き返して、家に帰りました。
家の中は、10日前のまま。洗濯機には回したままの洗濯物がカピカピに乾いていました。
冷蔵庫の中のものは、いくつか傷んでおり、賞味期限切れがたくさん。料理途中のものもあり、それらをやっと捨てられました。
あの時の私は、このいつも通りの生活の途中で、当たり前のようにその日常の続きをするんだと思ってたなと思いながら、ひとつひとつ途中だったものの続きをしました。
大事にしていたベランダの植物は枯れてしまっていました。
だけど、それでも心の底から思うのは、やっぱり母が無事でよかったということです。
こうして、母の文句を言えるのも、母が怪我一つなく無事でいてくれたから。本当に良かったと改めて思いました。
あの日、持っていくのを忘れてしまった持病の薬を10日ぶりに飲む。
まだまだ元のようには戻らないだろうけど、少しずつまた日常を取り戻したいと思いました。日常が送れるってありがたいと痛感しました。
旦那が、燃え跡からあるものを見つけて持って帰っていました。
それは、実家を母が建てた時の設計図です。
最初に私の部屋だった場所の一部に、ピアノのための床補強と書かれていました。
初めてそれを見て、今更ながらちょっとだけ母の愛を感じました。
ピアノ、辞めてしまってごめん。本当にもっと、私ができる娘だったら良かったのにね。
母が新居で一人暮らし開始から2日目。毎晩1日の報告電話をくれています。
母に渡したらくらくフォンは、その日の歩数やバッテリーの残り具合なんかを1日1回、自動的にメール送信してくれる機能があり、安心です。凄くありがたい機能です。
今日は精力的に動いてたみたい。
気力がとにかく大事だから、良かった。
そう思いながらも、まだまだ火事の後始末は、続いて行きます。
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