火事から三日後、自力で家の解体を始める
翌日、朝早くからおじさんが自分の家からこの別荘に戻ってきました。
昔、自衛隊にも居たおじさんは、どうやら家の燃え跡を、なんとかできるところまで自分でやろうと思っているらしく、来るなり休みもせず、作業着にヘルメット、靴も履きかえると隣にある私の燃え跡に行き、解体作業を始めました。
おじさんは80代です。しかし、そんなおじさんのパワーはとてつもなく、あっという間にハンマーによって、柱に残ったトタンなどが外されて行きました。
もちろん私も、眺めているわけにはいかず、せめておじさんの手伝いをしようと、鉄くずや燃え残った木材などを一箇所にまとめ始めました。
おじさんは、怪我するなよと、お前はよく働いて本当に偉いよと、いつものように褒めてくれて、また少し救われる気持ちと、自力で始めたおじさんに尊敬の気持ちで頭が上がらない気持ちでした。
旦那と母は、燃えてしまった身分証や銀行のカードなどの手続きや、家の解体後の鉄や木材などの市の引き取りの手続きの為に市役所へと行きました。
そして、おじさんの手によって、その日は3分の1くらい、片付いて行きました。
どう手をつけていいかわからずにいたけど、おじさんが始めてくれて少しだけ、心がすっきりしてきました。
そして午後夕方前に、明日また来るよと言って、家に帰って行きました。
ところで、臨時で住める部屋を手配してもらったにせよ、家財は何ひとつありません。
でも、服はおばさんが大量にくれて、布団や大きめの家電等は、いとこのお兄ちゃんが持ってきてくれました。
飲み物に関しては、買う必要がないくらい、箱で持ってきてくれたりと、作業をするのにとても助かりました。
特に、こんな時は贅沢品だと思うけど、まだまだ暑さも残っていたので、扇風機はありがたかったです。
それから母の友人も何人か来てくれて、色んな差し入れやタオルや食器類を持ってきてくれて、それもまたありがたく。
火事の時に、一番に連絡をくれた私の親友も会いに来てくれて、お見舞金や差し入れが本当にありがたいし、何より彼女の気持ちが嬉しかったです。
ふと作業を終えて、Tおじさんの家に戻ると、火事の夜に泊めてくれた別のおじさんが、私達のごはんを作って持ってきてくれていました。
おじさんは相変わらず、自分のあげた布団のせいだと気にしていて、むしろ申し訳なかったけど。
もうずっと、地元を離れていたけれど、こんな時は特に地元の温かさを感じました。
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